この夏、福島へ

すっかり更新をさぼっていてすみません。
ちゃんと乗っていたのですが、家に帰ってくると仕事疲れで、
いろいろとアップする気力がありませんでしたm(_ _)m。

もう、ふた月も前になりますが、福島へ行ってきました。
理由はうまく説明できないのですが、どうしても一度、自分の目で見てきたかったのです。

震災の時には東京に出てきたばかりで、何も出来ませんでした。
真っ暗になった渋谷の真ん中で毎日働きながら、
ここに電力を送り続けてくれていた地域のことが頭から離れませんでした。
テレビの中の出来事では無く、自分でそこに行って体験してみなければならない。
訳のわからない義務感から、一泊二日でFire Stormと共に走りました。

浜通りを行けるとこまで行ってやる、というだけの単純なプランです。
いまさら被災地の現状を報告したりとか、そういうつもりはありません。
あくまでも個人的なけじめ、とでも言えばいいのでしょうか。

8月28日朝に東京を出発し、常磐道をいわき四倉まで三時間ほどで到着。
道の駅「よつくら港」から浜通りをスタートしました。

ぜんぜん関係ないですが、きれいなCBXを見かけたので、一枚撮らせていただきました。

原発事故対応拠点となっていた、Jビレッジも見てきました。
やっとこの夏からJFAが本来の用途に戻すべく、プロジェクトを立ち上げたようですが、
私がこのとき見た感じでは、多くのピッチ上に機材やプレハブが置かれており、
まだまだ、使えそうには無いというのが、明らかでした。

道の駅「ならは」は、日帰り温泉もある施設でしたが、このときはまだ双葉警察署の臨時庁舎になっていました。

さらに6号線を北上すると、津波によって灌水したことを示す表示が出たあたりから、景色が一変します。
それまでも、軒並みパチンコ店やガソリンスタンドが閉鎖されており、
復興が進んだといっても、人々の「普通」の生活が完全に失われてしまったことが実感出来ました。
いわゆる娯楽とか無駄な物がいっさい無いのです。
がれきの撤去は進んでいましたが、家々の前には除染作業によって発生した黒い土嚢が山のように並べられており、
中間保存施設の問題が、いやでも目に付きます。

富岡町に入る手前で、通行規制があり、一般車はこれ以上進めません。

福島第一原発はまだ遠く、第二原発の姿さえ目にすることも出来ませんでした。
ちょっとでも近づいてやろうと思い、脇道を行ったり来たりしてみたのですが、
どの道も完璧に封鎖されており(当たり前ですが)断念しました。

しかたなく帰還困難区域迂回路情報にしたがって、山側に迂回することにしました。
これが思った以上に大変で、国道399号は行けども行けども通行止め。
地元の人に親切に教えてもらい、結局ひとやま超えた国道349号まで上がらないと迂回出来ませんでした。
南相馬側にたどり着くまでに、東京から福島よりも時間がかかりました。
本来ならナビによれば20分ほどで通り抜けられる6号線が・・・。
あまりの理不尽さに精根尽き果ててしまい、道の駅「南相馬」では何を食べたのかすら記憶にありません。

うちひしがれて、福島西インター近くにある、その日の宿にたどり着いたのでした。

〜つづく〜